斐太歴史の里 季節の情報
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(2018年4月1日情報)
斐太歴史の里は雪も消えカタクリの花が見頃を迎えております。観音平古墳群も足の踏み場もないほどの多くのカタクリの花が風になびいております。
今年は例年より雪解けも早く、またカタクリの開花も早まっております。
鮫ヶ尾城へのカタクリもこれから最盛期を迎え、鮮やかに色合いが染まる。
鮫ヶ尾城セラピーロードは山頂から高速道路の下を通る道は工事のため通行止めとなっております。 |
斐太歴史の里案内図
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観音平古墳群のカタクリの群生
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斐太遺跡内の管理棟
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古代の住居 復元棟
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斐太遺跡(ひだいせき)は西暦3世紀前後(今から1800年前頃)の弥生時代の終わり頃に栄えた東日本最大級の高地性の環壕集落跡です。
面積は10万㎡を越え、大きく3つの居住区に分けられます。この遺跡は、通常地中に完全に埋没している竪穴建物跡や環壕跡が浅い窪みのまま確認する事が出来る全国的に珍しい遺跡です。
現在、少なくとも130カ所の竪穴建物跡が確認出来、集落の周りに巡らされた防御用の空壕は総延長が900mにも及びます。こうした規模や内容から、斐太遺跡は卑弥呼が登場する「倭国大乱」の時代を経験した、守りのムラ(拠点集落)であったと考えられます。
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天正6年(1578年)3月、春日山城内で上杉謙信が後継者を明確にしないままに急逝したため、2人の養子の「景虎」と「景勝」が家督をめぐって越後の勢力を2分して争いました。この乱を「御館の乱」と呼ばれました。
劣勢となった景虎はわずかな手勢で「鮫ヶ尾城」へ逃げ込み、立て籠りましたが景勝方の総攻撃で耐える事が出来ず天正7年(1579年)3月24日に自害致しました。
現在は城のあったところに四阿屋が建てられ、当時の様子が偲ばれます。高台のため妙高市や上越市の景色、また日本海も望める眺望を誇っております。
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鮫ヶ尾場復元図
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鮫ヶ尾城跡地附近より撮影したカタクリと妙高連山
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鮫ヶ尾城跡の道標
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鮫ヶ尾城跡の四阿屋
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鮫ヶ尾城跡地よりの風景
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鮫ヶ尾城跡地よりカタクリと日本海
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大群生のカタクリ
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珍しい白色のカタクリ
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斐太神社
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イチゲの花
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妙高市 斐太遺跡の里 森林セラピーロード
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アクセス |
[車]上信越自動車道「新井スマートIC」より車で10分
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お問い合せ |
妙高市観光協会 949-2106 妙高市大字田口291-1 TEL 0255-86-3911
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