権兵衛トンネル |
伊那谷と木曽谷は長い間、中央アルプスにはばまれて、交通の行き来が大変厳しい環境にありました。
2006年2月4日、伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルが開通され、伊那谷と木曽谷が短時間で行き来が出来るようになりました。そのため観光に、ビジネスに人々の交流が容易にできるようになりなりました。 |
木曽福島の玄関口、JR木曽福島駅
御岳山や木曽駒ヶ岳への登山の出発点として、多くの人達に利用され、木曽観光の要所となっております。 |
JR木曽福島駅 |
そば店 くるまや本店
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名代歴史のそば店、くるまや本店
尾張藩御用水車屋として創業300余年の歴史と伝統の味を守り続けてきた老舗のそば店。日本四大関所の一つとして知られる中仙道木曽福島宿にあって、古くより旅人に木曽の名物そばとして親しまれて来た。その味、製造はもとより「ゆで」加減や秘法は、絶えることなく受け継がれ元祖の呼び声も高い。昔から「おいしくたべてもらいたい」と、注文をきいてからそばをゆでている。ざるそば(2枚)1050円 |
人気のざるそば |
古さを感じ、いつもにぎわいを見せる店内 |
古い町並みが残る上ノ段地区 |
古い町並みが残る上ノ段地区。
木曽の伝統的家屋が残る、福島宿の貴重な一画。 |
旧中山道の道標 |
旧中山道のなごりを残す |
今は古い町並みの家屋も少なくなってきておりますが、外観から内観には当時をしのばせる、重厚な作りを見る事ができる。 |
格子のある家 |
古い町並みの家 |
古い町並みの家 |
なまこ土蔵の道 |
木曽義仲
木曽義仲は幼少の頃に木曽に逃れ、駒王丸と名乗っておりましたが、後に元服をして木曽次郎源義仲と名乗りました。
1180年、後白河法皇より平家追討の命を受け、木曽の地で旗揚げ、その後北陸に進撃をして入京を果たし征夷大将軍任じられましたが、後白河法皇の策略によって鎌倉軍に敗れ栗津ヶ原にて討死。31才の短い生涯を終える。 |
大通寺
大通寺は西暦1600年の関ヶ原の合戦のあと、柱山和尚を開山とし、木曽代官の山村良勝によって建立された。鐘楼門は1778年に建てられ、当町に現存する木造建築物としてはもっとも古いものの一つにあげられております。 |
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木曽川に沿って並ぶ崖屋造りの家 |
山村代官屋敷 |
山村代官屋敷本屋敷玄関 |
山村代官屋敷
山村代官は鎌倉幕府の一族の流れを祖とし、木曽義元の食客となったことに始まり、木曽氏の重臣として活躍しました。後に関ヶ原に向かう徳川秀忠の先陣を勤め活躍をし、勝利を得たことから木曽谷の徳川直轄支配をまかされる木曽代官となる、
以後明治2年に至る274年間、木曽谷を支配し、関所を守っていました。木曽の山林と日本四代関所の一つ、福島関所の関守を兼ねていたその権力は強大で、その屋敷は豪壮を極めたものでした。 |
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福島宿関所門
福島宿は江戸幕府が江戸防衛のために、東海道の箱根関所や荒居関所、中山道の碓井関所などと並ぶ日本四大関所の一つが設けられておりました。有事の際には、関所を封鎖し江戸を守るために木曽川の断崖に望む、険しく、狭い場所に設けられておりました。特に鉄砲と女性には厳しい吟味がなされ、通行するのに普通でも女性は1刻(2時間)の吟味時間が掛かったと云われております。 |
福島宿関所 |
上番所 |
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高瀬家資料館
高瀬家は、文豪島崎藤村の姉、園(その)の嫁ぎ先で、藤村の作品「家」のモデルとして知られています。姉の園(その)は作品に登場する「お種」であり、また「夜明け前」のお粂(くめ)であります。
高瀬家は藤原氏の出で、大阪冬の陣のころ木曽福島に入り、山村代官に仕え、以後幕末まで山村家の家臣として代々お側役、鉄砲術指南役、勘定役として仕えて来ました。 |
木曽川の流れる福島宿風景 |
アクセス |
[車]中央自動車道塩尻IC下車-R19号線-木曽福島
中央自動車道伊那IC下車-R361号線-木曽福島
[電車]JR中央本線-木曽福島駅下車 |
お問い合せ |
木曽町役場 0264-22-3000 |
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・季節の輝きを求めて |
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信州の季節が織りなす瞬間の美しさを画像にて一同に紹介し、楽しんでいただいております。 |
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にぎわう夏の上高地河童橋付近
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旅行中は免疫力も高まり、肌の老化や生活習慣病の予防の効果も期待出来る |
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